123年前に、曾祖父(宮大工)が村祭りのために
私財をなげうって創り上げた『大灯籠』
生まれ育った信州の小さな村では、毎年10月初めに村祭りがある
お祭りの時だけ、組み立てられる大灯籠を私は今まで見たことがなかった
戦中戦後、水害などで一時期建てない時期に生まれ育ったから。
1987年に百周年を記念して塗りなおされ改修され、毎年建てられるようになった時には、私はもう上京し、忙しく故郷の祭りに帰ることはなかったのである。
今年こそ、曾祖父の遺した我が家の誉れを記録に撮りたいと
先日帰省し、朝4時半から午後9時まで記録を撮り、眼に焼き付けてきた。
まだ夜が明けない5時、大切に保管してある境内から搬出
村の男衆・青い法被の保存会の手で大事に運び出されようとしている
一年ぶりに目覚める、曽祖父の手仕事
幼少の頃より理数にたけ、物を創ることに興味を持った『照国』は
大工を志し15歳で年季を終え一人前の大工になり、その後
越後の三条(現:新潟県三条市)の宮大工の門をたたき、そこで木組みや彫刻など、大塞流(だいさいりゅう)の宮大工としての修行を積み、25歳で郷土に帰るのである。
初めて見る、曾祖父の刻んだ遺業にそっと触れてみる・・・
今でこそ、最初の柱と梁だけは重機で持ち上げるが
昔は村人総出で組み立てられ建てられたようである
パズルのような木片や柱を、釘一本として使わずに・・・組み立てられて行く
全てケヤキで造られた木片には方角・数字・色等が書かれているが
設計図や組み立て方を記したものがあるわけではない・・・
毎年繰り返され・受け継がれてきた曾祖父の造り上げた大灯籠は
明治21年(1888年)9月に完成。費用は193円79銭・・・
当時の物価からすれば相当な出費であった、と記されている。
曾祖父の照国は、大灯籠が完成し落成を祝う10月3日
心血注いで造り上げた作品を見ることなく、妻子を残して忽然と姿を消してしまう
当時の193円余りって・・・今でいうと、どのくらいなのだろう・・・
敷地内に七つの実が生る木を配した庭園の屋敷で仮組をしただろうが
出来は、あまり納得していなかったようである・・その上家を没落させてしまい
居たたまれなくなったのではないか、と末裔の弟たちはみている。
16年後、いったん家にもどり、村が用意してくれた家に住む家族と再会も束の間
また立ち去ってしまったようである・・・晩年は村で過ごし大正12年、孫である父の誕生の年に62歳でこの世を去ったとも村の史書に記されている。
さぁ、屋根を上げたら・・・もうすぐ組み建て完成!
曾お爺さんが、一度も見に行かなかった大灯籠を
曾孫の私が、初めて見て記録に撮ったものを、
こうして123年ぶりに世に出しても良いよね~大おじいちゃん。
初めて見る曾祖父の遺業・・・それを受け継ぎ守る村の祭り
深い感動はいつしか・・今年亡くなった父への想いにかわり
あぁ~ここに、父と来たかった・・・一番手仕事が好きで曾祖父に似ている父と
障子に今年の七文字も入り、夜宮が始まる前に
母に抱かれた父の遺影と、曾祖父の遺業を曾孫の私がカメラに収める
『森羅万象総流転』しんらばんしょうすべてるてん
<この世のすべての事象は一刻の休みもなく流れ動いている
そしてそれ等をくり返し乍ら歴史は過ぎてゆく>
2011年10月1日 午後5時(12時間の記録を撮り、夜宮につづく)
最近のコメント